失敗の乗り越え方について

皆さん、こんにちは。

突然ですが、皆さんは失敗についてどう考えますか?

私は、失敗については、成功への階段をまた一歩上ることができた。そう考えております。

私は今現在、36歳ですが、今までの人生を振り返っても失敗の連続でしたね。

 

そんな失敗の連続の人生でも私は、こうなりたいとか、こうしたいということに対しては、積極的に行動してチャレンジしてきました。と言いますか、今もチャレンジしていますし、これからの人生でもチャレンジしていくことでしょう。

 

では、なぜ、失敗してもまたすぐにチャレンジするのでしょうか?

答えは簡単です。失敗をマイナスの出来事だと思っていないからです。

何でもかんでも一発でうまくいく人生だったら、それはつまらない人生だとは思いませんか?

人間、何かに失敗してそこから多くの物事を学び、成長していく。これが大事だと私は考えます。

それなのに、どうせ失敗するからやりたいことがあってもできない。それはもったいないと思いませんか?

人生なんて一回しかないのだから、何かやりたいと思ったら、ぜひチャレンジしたほうがいいと私は思います。

 

確かに、うまくいく保証なんてありませんが、失敗してもそこから学習し改善していけばいいのですよ。

 

今回の記事では、失敗してもまたチャレンジする私の成功体験や失敗体験について書きたいと思います。

 

まず、私が失敗したであろう最初の経験は、高校受験に落ちたことです。

中学3年間、学業優秀だった私は、地元青森の進学校を受験しました。

しかし、当時の私は、受験を舐めていて、「どうせ受かるに決まっている」とたかをくくっていました。

しかも、その年にちょうど私が受験した高校の制度が、単位制に代わり新校舎に建て替えられる都市でして、例年よりも人気が出た高校でした。当然、高校の求人倍率が上がり、例年よりも合格することが難しくなってしまっていました。

それでも当時の私は、自分に絶対の自信がなぜかあり、「落ちるはずがない」と考えていました。

 

そして、高校受験の合格発表に姉と母親と一緒に、行きました。

すると私の受験番号がありません。

当時の私は、一瞬、目の前が真っ暗になりました。

落ちるという現実を受け入れられなかったのです。

その日の夜、私は、高校受験に落ちたショックで、自分の部屋で大泣きをしました。

「なんで、自分が落ちるんだ?」

現実を受け入れることができずにとにかく泣くことしかできませんでした。

 

この高校受験に落ちたことが私の人生の最初の失敗でしたね。

 

しかし、当時の私は次の日になると、来年もう一度受験して、合格してやるという気持ちに切り替わっていました。

 

その年、私は、高校受験に失敗したので、1年浪人することに決めました。

そして、私は、地元の予備校に1年通うことになったのです。

 

後からしてみたら、この浪人も失敗でしたね。

 

私は、当時、バスケットボールで成功してやると強く考えていました。

そして私は、地元でバスケットボール部がそこそこ強い学校に入り、レギュラーを取り、スポーツ推薦で大学に行き、大学を卒業したら日本でプロのバスケットボール選手になる!

そう考えていました。

 

そして、私はそれを理由に浪人生活を1年終え、高校の学力の偏差値レベルを下げてまで、バスケットをやるために地元の進学校を受験しました。

 

周りからは、1年浪人してまでなぜ以前受験した高校を受けずに、偏差値が少し下がった高校を選んだのか、意味が分からない。そう言われていました。

確かにこれは、周りの人たちの意見がごもっともですね。

しかし、当時の私は、高校へはバスケットボールをしに行くんだ。そう考えていました。

 

そして、私は、高校受験をクリアして高校生活がスタートしました。

 

「自分は、高校にバスケットボールをやりに来たのであって別に勉強しに来たわけではない」

 

当時の私は、そう考えていたため、授業中勉強をせずに、部活を徹底的にやるという生活を送りました。

この考え方も結局は間違っていましたね。

 

そして、私が1年生のとき、夏の大会で3年生が県大会ベスト8まで行きました。

3年生が引退し、スタメン枠が2つ空きました。

朝の6時から体育館で一人黙々とバスケットボールの練習をしていた成果が出て、私は1年生でレギュラーの座を掴みました。

しかし、レギュラーを取り1か月後、私は、部活の練習中に転んでしまい、左足首の靭帯を損傷してしまうという大けがをしました。

 

2か月くらい足にギプスを巻き、治るまで3か月くらいかかりました。

そして、足の靭帯が切れたのと同時に私のバスケットボールに対する情熱も切れてしまいました。

 

一年生の9月に私は部活を退部しました。

 

そして、当時付き合っていた彼女とも別れました。

 

何のために高校へ来たのか?何のために生きているのかわからなくなった私は、海に飛び込もうと未遂を起こしました。

そして、私は、救急車で病院へ運ばれました。

 

この時の私は、ストレスが原因で拒食症になり体重が36キロまで落ちてしまい、食べ物をほとんど受け付けない体になっていました。

 

これも私の人生の大失敗ですね。

 

それから数か月たったころ、バスケットボールに代わる打ち込めるものを見つけました。

それは、ボクシングです。

ボクシングで世界チャンピオンになってやる。

アホな私は、そう考えたのです。

 

それから私は、学校から帰ると家でひたすら筋トレをして、ボクシングができる体にしました。

食欲も戻り、体重も50キロまで戻り、私は、ボクサー体型となったのです。

そして私は、青森にはボクシングジムがほとんどないことから、高校をやめて東京のボクシングジムへ入ると親に言いました。

当然親には大反対されました。

しかし、私は親の言うことを聞かずに、1年浪人までして入った高校を2年生の時に退学し、地元の通信制の高校へ編入しました。

 

正直言うと、ボクシングで成功したいと考える一方で、進学校の普通科には行きたくないという気持ちもありました。

当時私は、進学校の高校で人間関係がうまくいかずに、学校の中で孤立していました。

 

そんな状況で学校へは行きたくないと思い、東京のボクシングジムへ入りたい。そう考えていたのです。

 

そして、月日は流れ、20歳で通信制の高校を卒業した私は、ボクシングをきっぱり諦めました。

理由は視力が悪かったためです。

ボクサーは目が命です。

 

そしてボクシングをあきらめた私は、次は、作家になることを夢見ます。

現実世界でボクシングの世界チャンピオンになれなければ、物語の世界でなればいいんだ!

 

そして、私は作家の真似事をして、新人コンクールに応募しました。

作品の内容は、ボクシングで世界チャンピオンになる一人の少年を描いた物語です。

 

当然ながら、コンクールの一次審査さえも通過できずに作家の真似事は、終わりました。

 

この時私は、東京の新聞屋に就職していて、毎日、経済新聞を読んでいました。

次に私は、FXで成功してやると考えたのです。

 

証券会社に口座を作り、一回の取引で10万円を投資して、1日で3万円の利益を出していした。しかし、そう簡単にいきませんね。

私は、マイナス40万円の損失を出してしまいました。

理由は、損切をしなかったためです。

これ以降、投資には手を出さないことにしました。

 

その後、私は関東地区で職を転々として、打ち込めるものに出会わずにいたころ、高校生のころから発症していたパニック障害が悪化してしまい、24歳の時に神奈川県相模原市で生活保護を受給することになりました。

 

それから12年がたち、病院の薬を今現在も飲み続けています。

まだ完治はしておりませんが、薬を飲み始めたころよりもだいぶ楽になりました。

 

そして、私は、人材育成についてサポートをするアプリを作りたい!

そう考えるようになりました。

ただし、独学でプログラミングを勉強してアプリを開発するには自分には無理でした。

ですので、私は、相模原市にある障碍者の職業能力開発校へ入校しました。

この学校でアプリを開発しております。

 

そしてついに人材育成アプリが完成しました。

 

私の人生は、振り返ってみると失敗の連続でした。

しかし、あきらめずにこうしたいと思うことに対しては、積極的にチャレンジしてきました。

その結果、こうしてアプリを完成させることができました。

 

失敗しても次にまたチャレンジし続けることは、恥ずかしいことではないと思っています。

むしろ失敗はプラスです。失敗は、今までの考え方を変えることができるいい機会ですからね。若い時は、たくさん失敗してまたやり直せると私は思います。

 

今回は、私の失敗と成功の経験について書きました。

皆さんもよければ、この人材育成アプリを使ってみてください。

  

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